日曜の「ゴー宣道場」は「憲法」の本質を理解してもらう
ために、高森氏とわしが講義をしてるような風になって
しまったが、あれだけのことは伝えておかねばならなかった。
一つ、わしのミスを書いておきたい。
憲法は成文法だが結局は「慣習法」です、と言うべきを、
「不文法」と言ってしまった。あれは言い間違い。
憲法は国家権力(天皇、国務大臣、国会議員、裁判官
その他の公務員)が守らなければ形骸化してしまう。
天皇陛下は立憲主義の意味を知っておられるから、
絶対に、厳格に守っておられる。
だが国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、
憲法を守らない恐れがある。
国民が憲法に関心を持たずに、国家権力の監視を怠り、
彼らに憲法を守らせなければ、たちまち形骸化する。
だから憲法は成文化していても、結局は「慣習法」なのだ。
国民が国家権力を監視すべきということは、
マスコミにこそ、その重大な使命があるのだが、
残念ながらマスコミも、国家権力の広報紙に成り下がってる
例が見られる。
例えば読売新聞や産経新聞はその傾向が顕著だ。
国民のほとんどが「憲法は、国民による国家権力への命令書」
ということを知らないのだ。
せめてその本質を徹底的にわかってもらわねばという危機感
から、昨日の「ゴー宣道場」は、啓蒙活動になってしまった。